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釜山博物館

主要所蔵品

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釜山、慶南地域の徳川洞、老圃洞古墳群、金海邑城遺跡などから出土した発掘埋蔵文化財10,000点以上を始め、購入分10,000点以上、寄贈分8,000点以上、収集分360点以上など全体の所蔵遺物は総計32,000点以上となります。現在、展示室には先史時代から現代(1953)にいたるまでの釜山地域の歴史と民俗関連遺物を中心に各種文化財1,500点以上を展示しており、外部の野外展示場には塔、仏像、碑石など40点以上の石造物が展示されています。


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  • 永泰二年 銘蝋石製舎利壷(国宝 第233号)

    永泰二年 銘蝋石製舎利壷(国宝 第233号)썸네일
    表面に陰刻された銘文を通じて正確な製作年度が永泰2年(新羅恵恭王2年:766年)ということが明らかになったこの舎利壷は、慶南・山清郡智異山南側海抜900mに位置していた廃寺跡の石造毘盧舍那の台座中台石から出土したものとして知られている。胴体部分には3組の細い線がぐるりと引かれ、マス(縦横の線)なしに各行が8字~11字から成る15行の銘文が刻まれている。その内容は、「永泰2年 丙午7月2日、法勝と法縁二人の僧が過去を奉り豆温哀朗のために石造毘盧舍那仏を供え、無垢浄光陀羅尼経と共に石南庵の観音庵に奉安した。 豆温哀朗と僧、そしてこれを奉る全ての人の三悪(欲、怒、愚)の業がなくなり、仏となることを望む」とあり、舎利壷と仏像の正確な製作年代と由緒を知ることができる。それだけでなく、仏像の台座石に法舎利を奉安した最初の事例としても知られており、毘盧舍那仏が韓国で造られた年度を既存の9世紀から1世紀早めた需要な資料である。特に、表記自体が吏読文となっていることで、仏教美術と合わせて語文学などの研究においても非常に重要な資料である。 
  • 約條制札碑(釜山広域市指定記念物 第17号)

    約條制札碑(釜山広域市指定記念物 第17号)썸네일
    粛宗9年(1683年)東萊府使と対馬島主が倭館の運営のための禁制条項5項を定め、これを広く知らしめるために建てた碑石である。その内容は大よそ次のとおりである。 1. 出入りを禁じた境界の外に出る者は、事の大小を問わず死刑とする。2. 路浮税(裏金)のやりとりが発覚した場合は両者共に死刑とする。3. 開市したときに各部屋に入ってこっそりと闇取引をする者は両者共に死刑とする。4. 日本人は5日毎に様々なものを供給する際に衛前、倉庫ジギ(倉庫番)、通訳などを一切引き摺り下ろして叩くことがないようにする。5. 両者犯罪人は倭館門外で共に刑に処する。  
  • 東萊南文碑(釜山広域市指定記念物 第21号)

    東萊南文碑(釜山広域市指定記念物 第21号)썸네일
    釜山広域市指定記念物第21号の本碑石は、壬辰倭乱の当時東萊城南門で倭隻の大軍と戦って殉死した府使の宋象賢公の忠節を追悼するために顯宗11年(1670年)に当時の激戦地であった南門外の弄珠山に建てられた碑石である。その後、肅宗14年(1688年)に府使・李德成が営繕し、 肅宗35年(1709年)に府使・ 權以鎭が忠烈寺に別祠を建てる際に、別祠の前庭に移された。その後、英祖12年(1736年)別祠を取り壊すことになった時に東萊城南門の位置に移して立てられた。現在は、市立博物館野外展示場に移されて保存されている。 
  • 東萊府東下面古文書(釜山広域市指定有形地文化財 第24号)

    東萊府東下面古文書(釜山広域市指定有形地文化財 第24号)썸네일
    東下面古文書は、朝鮮時代の東萊府東下面(現在の海雲台区一円)の地方自治行政と直接関連した文書で、この地域の社会的文化的背景を詳細に伝えるだけでなく、朝鮮後期の地方行政の具体的な内容を示す非常に重要な資料である。東下面古文書として保存されてきた資料は、『東下面戸籍台帳』1冊を含む全30冊で、文書の分量は1910年以前の文書383面、1910年以降の文書87面等、全470面である。東下面古文書は、朝鮮後期の釜山の歴史、社会、文化研究にとって非常に貴重な資料であり、この資料を通じて『東萊府邑誌』や倭館関連の資料からは分からなかった特殊な行政事項や民間の実情がより具体的に分かるようになっただけでなく、海雲台地域の地域史を究明する上でもなくてはならない貴重な文献的根拠を持つことができるようになった。 
  • 凡方貝塚 釣り針

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    江西区凡方洞から出土した結合式釣り針は、石からなる軸部(本体)と骨からなる鉤(針)を別々に作り、軸部の下部の端と鉤の下部の端を糸で結んで使用した釣り針である。江原道蓑陽郡鰲山里を始めとする新石器時代の遺跡から出土され、新石器時代の漁の状況について知ることのできる遺物である。 軸部の上部端には、2~4組の溝があり、釣り糸を結べるようになっている。 
  • 青磁象嵌菊花文托盞

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    受け皿がついた高麗中期の青磁杯であり、杯と受け皿が全体的に10個の花びらを持つ花の形を成している。杯の口縁部と受け皿の皿部分は、花びらの端が山形であり、受け皿の対角部分は陵形にそれぞれ表現されている。 表面は唐草文様・菊花文様などで象嵌装飾してあるが、象嵌技法は金属工芸の入糸技法や螺鈿漆器の象嵌法などにその由来を見出すことができる。