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近代歴史館

第1展示室

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近代歴史館

釜山の近代開港

釜山の近代開港

1876年近代開港以降, 釜山には朝鮮の米を日本に送り, 朝鮮市場に日本の製品を売ろうとする日本の商人らが渡ってきた。 日本人は朝鮮後期に建てられた草梁倭館に専管居留地を作って暮らしながら, 朝鮮政府の干渉を受けずに自由に貿易を行うことができた。 日本政府は釜山の日本人を保護するために各種の支配機構を作り,朝鮮で財産を築いた日本人は朝鮮人の生活圏を少しずつ奪っていった。 朝鮮政府は開港した釜山に管理者を派遣し,朝鮮人たちが日本人と競争しながら成長することを願ったが,日本の侵略を抑えるにはあまりにも力不足であった。 朝鮮人が暮らしていた東萊は日本人が支配する釜山に編入された。日帝支配は釜山を大陸侵略に必要な基盤施設を持つ近代都市へと変えていった。

日帝の釜山収奪

日帝の釜山収奪

日本帝国は, 釜山を行政的に支配するために釜山府庁を設置し, その下の最小行政単位までも支配力を浸透させた。経済的には朝鮮の米の収奪と日本の工産品販売のための政策を推進した。洛東江に堤防を作って金海平野を作り米の収奪し, 朝鮮人小作料も収奪した。 日本帝国は, 大陸侵略政策と安い労働力収奪を目的に1930年代から工業化を積極的に推進した。また, 優秀な漁業技術と道具で朝鮮の水産業をむさぼっていった。日本の資本家らに金融支援を行うために多くの日本の銀行が設立された。更に、戦時体制時には戦争に必要な物資や人力を躊躇なく奪っていった。

近代都市·釜山

近代都市·釜山

釜山は開港後, 閑散とした漁村から近代都市へと変化した。日本帝国は釜山を韓半島は勿論, 大陸侵略のための足がかりとして造成した。市街地拡大と港湾設備を造成するため, 海岸を埋立て, 埋立地には交通, 港湾, 倉庫など近代施設を整えた。道路網の整備により朝鮮人の村が釜山により近くなり, 港湾施設は日本と大陸を連結した。そして日本人のための病院, 上水道, 新聞など社会基盤施設も増えた。 釜山の近代化は地域の中心地を以前の東萊から釜山へと変える契機となった。東萊は伝統的な中心地の姿が消え, 日本人の享楽地域へと変わった。